まつりの由来
しねり弁天たたき地蔵まつりの風習は江戸時代中頃から始まったと伝えられております。
“天下の奇祭”と評判の「しねり弁天たたき地蔵まつり」が行われるのは、毎年六月三十日の夜。新潟県魚沼市(旧小出町)の中心部、諏訪町にある弁天堂と陣屋通りを隔てた稲荷町の観音寺のお地蔵様との間です。
日が暮れて赤い連堤燈に日が灯る頃、境内のあちらこちらから若い男女の歓声で俄かに活気づきます。男性は女性の腕をつねり(しねり)、女性は仕返しに男性の肩を叩くという、年に一度の無礼講が許されるおまつりです。
この奇妙なまつりの発祥は上野の忍不池の弁天様のまつりにあると伝えられています。江戸時代の川柳には「弁天のしりとつねりに巳待の夜」とあり、正月の初巳の夜には、若い女性の尻をつねる習わしがあったことがわかります。
弁天の縁日、初巳の日では開運のお守り(巳成金)を貰う事ができ大いに賑わっていたそうですが、そのまつりを旧小出町の人が地元へ持ち帰り広めたと伝えられています。
魚沼市の弁天堂は宝永七年(1710年)の建築で、今から約300年程前に建てられました。御本尊の「弁財尊天像」は十六童子を従え、冠に鳥居と男の像を載せた華麗な容姿。極彩豊に塗り上げられた彫刻は見ものです。
この弁天堂は昔から五穀豊穣、縁結び、子育て、不老長寿、商売繁盛の神様として近郷近在に広く深い信仰を集めていました。
そして観音寺にある大きな座り地蔵は火伏地蔵で、もともと防火の為に街の出入り口(小出橋のたもと)に置かれていましたが、明治初期に観音寺に移されたそうです。
では一体なぜ「たたき地蔵」の風習ができたのだろうか・・・
- その昔、一月十五日には“かゆ杖”(かゆを炊いた木を削って作った杖。かゆの木、お祝い棒、嫁たたきともいう)を作り、あずき粥を食べていたそうです。
江戸時代宝暦年間の川柳に「細腰をやなぎでたたく十五日」「かゆ杖でたたかれ嫁の腹がはれ」とありますが、かゆ杖で女性の腰をたたくと “男の子が授かる” “安産になる” と言われ、かゆ杖を持った子供が新しく嫁を迎えた家に入り、嫁の腰をたたくという風習があったそうです。この風習は当時全国的に行われていたと言い伝えられています。
すなわち「子宝祈願」のこの風習が、「たたき地蔵」の元となり、今日に受け継がれて来ました。男性につねられた(しねられた)女性は男性の肩を叩き返して、お礼をしたのだと言われています。
その後、この風習は「弁天様」の宵まつり(毎年六月三十日の夜)に行われるようになり、若い衆や嫁衆の楽しいおまつりとして今も続いています。